吸ってもいいけど吸ってはいけない「窒素」

解説

窒素とは?

窒素(Nitrogen)は、地球の大気中に豊富に存在する元素であり、無色透明で無味無臭の気体です。窒素は窒素分子(N2)として地球の大気の約78%を占めています。

そして窒素原子は生命の必須要素であり、すべての植物および動物のタンパク質を構成する要素の一つでもあります。窒素は非常に安定性が高いため、通常空気中のそれをそのまま利用することが出来ません。しかし、大豆やその他のマメ科植物などの一部の植物は、「窒素固定」というプロセスを経て大気または土壌から窒素を直接回収することが出来ます。植物はこのプロセスを経て窒素を炭水化物、必須アミノ酸、およびタンパク質に変換しています。我々はこのようにして生み出された物質を食べて取り入れています。

窒素の用途としては数多くあるため、一部を紹介します。窒素ガスは食品の酸化防止のための封入ガスとして使用されます。また、半導体の製造においても重要な役割を果たしています。窒素が不活性であることを利用して材料の酸化を阻止し、超微細で精密な加工を可能にしています。

窒素発見の歴史

窒素の発見は空気の正体を突き止める研究の過程で発見されました。ここではその流れを追いながら解説していきたいと思います。

スコットランドの物理学者ジョゼフ・ブラックは二酸化炭素(当時は固定空気)の性質を研究していたところ、二酸化炭素中ではろうそくが燃えないことを発見しました。密閉された入れ物の中でろうそくを燃やすと、炎はそのうち消え、燃焼しない気体が残ります。このこと自体はすでに知られていましたが、入れ物の中に残った気体から二酸化炭素を取り除いてもまだ謎の不燃性の気体が残っていました。その気体の調査をダニエル・ラザフォードに指示しました。このダニエル・ラザフォードが窒素を発見しました。

彼は次のような実験を行いました。
まず、通常の空気で満たされた密閉容器の中でハツカネズミを死ぬまで飼育し、その後、ろうそくとリンを燃焼させて酸素を消費させました。その気体から二酸化炭素を吸収する液体を用いて二酸化炭素を取り除いた後、残った不燃性の気体中ではハツカネズミは生存できないということを確認しました。

ラザフォードはこの残された気体を「有毒な空気」と名付けました。これが現在で言う窒素のことです。ブラックとラザフォードは当時有力視されていた「フロギストン説」を唱えていました。フロギストン説とは、『ものが燃えることは物質から「フロギストン」という元素が放出されるため』という理論です。この説によると、ラザフォードの実験の結果は次のように解釈されました。ろうそくの火が消えるのはフロギストンが充満しているため燃焼することが出来ないとしたものです。ラザフォードは生物は呼吸によってフロギストンを排出しており、フロギストンが飽和した状態では生物は呼吸が出来ずに死亡すると考えていました。

そして、現在の窒素として認知されるようになったのは、ラボアジエによって、窒素の存在が示されてからです。簡単にその流れを見ていきます。

1772年に、ラボアジエはリンを燃焼させる実験を行い、その重量が増加する現象を確認しました。燃焼が「フロギストンが放出されて灰になる現象」とするなら、重さが増えるのは妙な話です。実は、このような現象は金属を加熱することでも確認されていたため、様々な議論がされていました。そんな中、ラボアジエは空気が物質に吸収されていることを確認しました。明らかに現行のフロギストン説と異なる挙動に興味をひかれたラボアジエは、さらなる実験を重ねていきました。その結果、ラボアジエは燃焼が物質からフロギストンが放出される現象ではなく、空気中の成分と物質の結合であること、そして空気が酸素と窒素から構成されていることを明らかにしました。

そして、ラボアジエは窒素のことをフランス語の生命を保たざる者の意味である「azote」と命名しました。全然窒素感はない名前ではありますが、日本語の窒素という名前は、ドイツ語の「Stickestoff(窒息させる物質)」を和訳したものであるためです。このようにして窒素が発見されました。

窒素の毒性

窒素は常温常圧で気体のため、LD50は測定不能です。

窒素の作用機序

窒素自体に反応性がないため、これが毒性を発揮するわけではありません。しかし、高濃度の窒素ガスを吸入すると急激に酸素が失われてしまいます。細胞は酸素を取り込み、それを利用してエネルギーを産生しています。したがって、酸素の供給が絶たれると、エネルギーの産生がストップするため様々な問題が発生します。今回は100%の窒素ガスを吸入した場合何が起こるのかを解説していきます。

中毒症状

先ほど作用機序で紹介した通り、窒素そのものが毒性を発揮するわけではなく、酸素が急激に不足するために毒性が発揮されます。そのため、酸素濃度の低下によってどのような症状が発生するのかを紹介します。

通常、空気中の酸素濃度は約20.9%ですが、それが18%未満になると症状が出始めます。100%の窒素ガスを吸入すると1呼吸で失神することすらあるため、非常に危険です。

肺胞でのガス交換

ヒトは肺胞でガス交換をしています。肺胞の毛細血管から肺胞腔に出てくるガスの酸素濃度は状況によって幅が見られるものの、 一般的には約16%程度であり、これが空気中の21%の酸素と濃度勾配に従って交換されることになります。したがって、ここで重要になのは毛細血管側の酸素濃度が空気中の濃度より低いことです。濃度勾配によって肺胞側から毛細血管側へ酸素は移動し、これによって酸素が血中に取り込まれ、供給されるようになります。反対に、二酸化炭素は代謝によって発生した分だけ空気より血中の方が多く存在するため、二酸化炭素は毛細血管から肺胞側へと排出されています。

ここで、酸素濃度0%の窒素ガスを吸入したとします。この時、肺胞に入ってきた窒素ガスと毛細血管中血液の酸素濃度を比較すると、圧倒的に窒素ガス側の濃度が低いことが分かります。そのため、酸素は毛細血管側から窒素ガス側へ移動することになります。これによって、血中の酸素濃度は一気に低下することとなります。

血中酸素濃度が急激に低下すると、それを化学受容器が感知し、延髄に存在する呼吸中枢へ信号が伝わります。呼吸中枢は酸素濃度低下を感知すると、酸素の供給量を増やすために呼吸反射を起こし、呼吸を発生させます。しかし、窒素ガスが充満された環境では呼吸によって取り入れられる気体は窒素ガスです。そのため、先ほど説明した通り体内からさらに酸素が引っ張られ、より血中酸素濃度が低下してしまいます。そしてそれに反応して呼吸反射が…、という悪循環が発生します。

徐々に酸素濃度が低下する場合は徐々に症状が発現するため対策を取ることも可能ですが、極端に酸素濃度が低い気体を吸入した場合、急激な酸素濃度の低下により一瞬で意識を失います。大脳皮質は、思考や判断など人間の高次機能を担う部分であり、酸素欠乏による影響を最も受けやすい器官のため障害が残りやすく注意が必要です。

身近に潜む危険

このメカニズムで酸欠になるのは、「吐き出す空気より酸素濃度が低い気体を吸入した場合」です。身近にこのような気体はあまりないと思われますが、いくつか注意が必要なものがあるので紹介します。

吸入できるヘリウムガスとしてはいけないヘリウムガス

皆さんはヘリウムガスを吸入したら声が変わるという遊びをしたことがあるでしょうか?ヘリウムガスには吸入が出来るように酸素が配合されているものと、されていない純粋なヘリウムガスが販売されています。パーティグッズなどとして販売されている吸入可能なものは吸入しても問題ないようになっていますが、風船を膨らませるために使用されるヘリウムガスには酸素が配合されていないため、吸入してしまうと今回解説したメカニズムにより急激な酸欠によりとんでもないことになります。
液体窒素

液体窒素は気体に戻ると体積が約700倍に膨れ上がります。気密性の高い場所で大量の液体窒素が気化すると、とんでもない勢いで空気を押しのけて高濃度窒素ガス地帯が発生することになります。これを誤って吸入すると大変なことになります。

このようにして酸欠となり倒れた人がいた場合、対策なしで助けにいくとかえって犠牲者が増える可能性があるため、下手に近寄らない方がいい場合があるため注意が必要です。

そのような事故が起こる可能性があるところでは対応マニュアルが用意されているはずなので、その可能性がある場合はそれに従って対応してください。

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